映画"Avengers: Endgame" (2019) 『アベンジャーズ/エンドゲーム』感想
宇宙の生命の半数を絶滅させたサノスを、人類の傲慢さを批判する極左のエコ・テロリストとみなす説(例えば町山智浩さん(映画ムダ話83)は、ピーター・シンガーの倫理学などを持ち出してこのような観点からサノスの「正義」を論じていた)もありますが、今作『エンドゲーム』の結末まですべてを見終えた今となっては、サノスには左翼的なところなど何一つないのがはっきり分かりました。サノスが幾度となく口にする台詞"I am inevitable"(私は必然だ)の通り、彼は、この変えられない現実そのものの代名詞です。
「半数を犠牲にすることで、半数の幸福を実現する」というサノスが掲げる主張は、世界の不均衡をただすために実現するべき大義などではなく、今まさにここにある醜悪な現実に対する追認そのものです。
現代社会において、持てる者の幸福は、持たざる者に対する簒奪や搾取の結果得られるものにすぎません。私が今得ているこの幸福は、私以外の誰かの不幸(犠牲)と表裏一体の関係にあるということ。こうした関係はあらゆる領域において構造として見出されます。先進国/発展途上国、男性/女性、人間/動物(家畜)、マジョリティ/マイノリティ、正社員/非正規労働者、等々。
自分が得ている幸福が他者の不幸の上に成り立っているという現実を見て見ぬふりする者もいれば、欺瞞的な正当化を図る者もおり(勝者は努力によってフェアな競争に打ち勝ち正当に幸福を得たのであり、敗者の不幸は自己責任によるものである云々)、そもそも無知のまますべてをやり過ごすことのできる文字通り「幸福な」者もいます。
サノスがやったことは、半数を殺し半数を生き残らせることで、この現実を誰もが認識できる形でシンプルに可視化したこと。その上で、この現実を受け入れろ、この現実を変えることなどできるものかと豪語してみせた。"I am inevitable"(私は必然だ、現実は変えられない)と。
図式的に整理するなら、こうしたサノスの立場に対して抵抗するということは、この現実を変えようとすることを意味します。
クライマックスの最終決戦を前にして、サノスはアベンジャーズに対してこう言い放ちます。
Thanos:
I'm thankful because now I know what i must do.
I will shred this universe down to its last atom and then with the stones you've collected for me, create a new one teeming with life but knows not what it has lost but only what it has been given.
A grateful universe.
Captain America:
Born out of blood.
Thanos:
They'll never know it because you won't be alive to tell them.
(適当和訳)
サノス:私が何をなすべきか教えてくれて、お前たちには感謝しているよ。
私は今からこの宇宙を塵に返してやろう。そして、お前たちが私のために集めたインフィニティ・ストーンを使って、新しい宇宙を創るのだ。その宇宙を満たす生命たちは、もはや失われたものについては何も知らない。ただ、与えられたものだけを知っている。
感謝に満ちた宇宙だ。
血まみれの虐殺から生まれた宇宙だ。
サノス:
彼らはそれを決して知ることはない。なぜならお前たちは彼らに伝える前に今ここで死ぬからだ。
要するに、サノスにとって、サノス(=この現実)に抗う者とは、犠牲となり失われた者たちのことを記憶している者のこと。すなわち、この現実におけるあらゆる幸福は、すべて犠牲の上に成り立っているということを認識し、そこから目を逸らさない者たち。
こうした者たちは現実に対して抗うのであり、アベンジャーズもまたこの現実に対して抗うということ。
だが、この現実を変えることなど果たしてできるのだろうかと、アベンジャーズのヒーローたちは各々煩悶します。
例えば、
アイアンマン(トニー・スターク)の場合。
彼は、一度はサノスによってもたらされた秩序(=変えられない現実)を完全に受け入れ、幸福を享受します。最愛の妻と娘に囲まれた幸せな家庭生活をなんとしてでも守りたい、たとえこの幸福が多くの者たちの犠牲の上に成り立っているとしても、と。
トニーの立場は穏健派であり、彼はこの現実を完全否定することは決してありません。
キャプテン・アメリカたちによって協力を要請された時も、一度は協力を断ります。
その後、トニーは考えを改めて協力を申し出るものの、最優先事項として、「今ある生活を守ること」を決して譲りません。以下は、キャプテン・アメリカとの会話の中でのトニー(アイアンマン)の台詞。
Tony: We got a shot at getting these stones, but I gotta tell you my priority is to bring back what we lost? I hope, yes. Keep what i found? I have to, at all costs.
トニー: 我々の狙いはあの石を取り戻すこと。だが言っておくが、私のプライオリティ(最優先事項)は、死んだ者たちを生き返らせること、そして私の今の生活(=私が得たもの)を何としても守ることだ。
「大義vs個人の幸福」という主題は幾度となくトニーという人物を通じて描かれます。
トニーはスペースストーンを得るために1970年代にタイムリープした際に軍事基地内で父のハワードと偶然出会い、他人を装って会話を交わします。その時にも「大義vs生活保守」というこの主題が反復されます。
妻の妊娠(お腹の子供はトニー本人)が判明したばかりのハワードとトニーとの会話。
Tony: I have a little girl.
Howard: A girl would be nice. Less of a chance she'd turn out exactly like me.
Tony: What'd be so awful about that?
Howard: Let's just say that the greater good has rarely outweighted my own self-interests.
大義(the greater good= より大きな善)のために今ある幸福(my own self-interests=自分自身の利益) を犠牲にする必要はないのだ、と語る父ハワード。
これらの場面(を通じて描かれる主題)が、この映画のクライマックスシーンであるトニーの自己犠牲=死の場面の伏線となっています。
あるいはネビュラNebulaの場合。
僕個人的に最も泣けてしまったシーンが、ネビュラ(=過去世界のネビュラ)が死ぬ場面。
映画の最終盤、スパイとして未来世界に潜入したネビュラ(過去世界)は内部から手引きをしてサノス(過去世界)の軍勢をアベンジャーズの本部へと導きます。そしてサノスの命令を受けてガントレットを奪取、サノスの元へ戻ろうとするところで、彼女自身の未来の姿と対面します。そこで交わされるやりとりがあまりにも悲しい。
"You can change"(あなたは変われる)
という、未来世界のネビュラの呼びかけに対して、
"He won't let me"(彼がそれを許さないわ)
と過去世界のネビュラは応え、死にます。彼女は、あまりにも強固すぎる現実(He=サノス=inevitableな、変えられない現実)を前にして、何も信じることができずに倒れ、死んで行きました。
などなど、感想は尽きません。
この映画は、この世界は変えられるとは決して言っていないし、変えられないとも言っていません。しかし、ヒーロー映画として一つの希望を伝えてくれたような気がします。
綺麗事や理想を語ることが忌み嫌われる、ドナルド・トランプ流の「本音」至上主義のこの時代にあって、映画はここまでやれるのだということ。
Alt-right(ネトウヨ)たちから性差別的な総攻撃を受けているキャプテン・マーベル役のブリー・ラーソンですが、この映画の最終決戦の一コマとして、彼女が仲間の女性ヒーローたちだけで固められた女性の小隊を率いてサノスの軍勢に対して突っ込んでゆく確信犯的なシーンには胸のすくような爽快感がありました。
一番好きなシーンは、ソーが過去のアスガルドへ帰還し、母のFriggaと束の間の再会を果たすところです。
感想ここまで