progress, not perfection

日本のスピリチュアル系はなぜ、かくもネトウヨ化するのかを考えます。オカルト関連の話題中心。

映画"Hereditary" (2018) 『ヘレディタリー』感想

オカルトホラーとしてまぎれもなく歴史に残る傑作だと思います。

オカルト好きにはたまらない一作。逆に言えば、オカルト色が強すぎて抵抗のある人もいそう。

前半60分はオカルト要素が前面には出てこない見せ方をしていて、これはこれで非常にスリリングで、オカルト抜きのホラーとして成立していた。後半はどっぷりオカルト。

オカルト抜きの解釈、すなわち結局すべてが登場人物(精神病者としてのアニーあるいはピーター)の妄想にすぎないという解釈を下す余地もありますが、アリ・アスター監督自身はインタビューでこれについて否定的に述べているそうです。曰く、この作品のエンディングはリテラルだ(=文字通りだ、つまりメタファーではないという意味)と。

物語をネタバレ有り3行でまとめるなら、
悪魔崇拝結社のリーダー格である祖母が、自らの血統(子孫たち)を犠牲として差し出すことにより悪魔を降臨させようとした話。結末:悪魔の降臨は成功する。

ちなみに、富を得るために悪魔と契約を結ぶというやり方について、オカルト的な関心から言えば、日本におけるいわゆる「憑き物筋」(=子々孫々の繁栄のために何らかの代償を支払い「ある存在」と契約を交わした一族)も似たような発想に基づいていると思います。

日本における憑き物筋系の実話を僕もいくつか聞いたことがあります。なので、この映画の背景にあるオカルト的な設定は必ずしも完全なフィクションだとは僕は思いません。こういった家族の悲劇は実際にあります。(ただ、憑き物筋について語る時には、これらは日本社会における差別の歴史と不可分であったことを忘れてはなりません。しかも差別は過去のものではなく、現在進行系で今もあります。興味本位で語るにしても必ず肝に命じておかなければならないことです。)

以下は気になった細部のメモ。

 

1. 祖母の遺品である"INVOCATIONS(召喚)"というタイトルの本に書かれていた内容など

King Paimon (God of Mischief):

When successfully invoked, King Paimon will possess the most vulnerable host. Only when the ritual is complete will King Paimon be locked into his ordained host. Once locked in, a new ritual is required to unlock the possession.

The Goetia itself makes no mention of King Paimon's face, while other documentation describes him as having a woman's face (while referring to him using strictly masculine pronouns). As a result the sexes of the hosts have varied, but the most successful incarnations have been with men, and it is documented that King Paimon has become livid and vengeful when offered a female host, For these reasons, it is imperative to remember that King Paimon is a male, thus covetous of a male human body.

 

(適当和訳)

ペイモン(パイモン)王 害毒の王

召喚に成功すると、ペイモン王はもっとも脆弱なホスト(=宿主)に憑依する。儀式が完了してはじめて、ペイモン王は定められたホストの内部に入り込む。憑依を解除するためには、新しく儀式を行うことが必要となる。

ゴエティア(=ある古文書)はペイモン王の顔には言及していないが、別の文書は王が女性の顔を持っていると記述している(しかし王のことを厳密に男性名詞として受けて記述している)。

そのためホストの性別はこれまで様々だったが、憑依がもっとも成功したのは男性ホストの場合であり、女性のホストを用意した場合には、王はひどく怒り、障りを起こすことがあった。

これらの理由により、ペイモン王は男性であり、男性の身体を欲しがるということを必ず覚えておくべきである。

この本の別のページには、うず高く積まれた金銀財宝の頂で笑みを浮かべる裸の人間が描かれた挿し絵に、次のようなキャプションが付けられています。

Riches to the Conjurer 

召喚者には富が与えられる

要は、ペイモン王を召喚すれば、召喚者たち(ペイモン王のfollowerたち)に対して「富Riches」が約束されるということらしいです。

 

が、この「富」が一体どのようなものを指すのかは明確には語られていません。

はたから見ると、この祖母はすでに子孫を次々と死へ追いやり血統を根絶やしにして家族を破滅させており、現世的な幸福としての「富」など、もはや眼中に無いように見えます。

彼らが欲する「富」とは、果たして世俗的なものを指すのか(教団の繁栄、あるいはGraham家子孫代々の繁栄)、あるいはもっと彼岸的なものを指すのか(「魂の救済」のようなもの)、よく分かりません。

祖母が娘に宛てて残した手紙にも、彼女たちが得る「報酬rewards」について書かれていますが、具体的ではありません。

My darling, dear, beautiful Annie,

Forgive me all the things I could not tell you. Please don't hate me and try not to despair your losses. You will see in the end  that  they were worth it. Our sacrifice will pale next to the rewards. Love, Mommy.

愛しいアニーへ

隠しごとばかりしていてごめんなさい。でも、私のことを憎まないで。そしてあなたが何を失っても絶望しないで。最後には、その価値があったと分かるでしょう。私たちの払う犠牲は、与えられる報酬の前では色あせてしまうでしょう。愛をこめて、ママより

 

 ラストシーンでジョアン(教団の女性幹部)がピーターに向けてやや具体的に語っていますが、それでもなお、此岸的な富とも彼岸的な富ともどちらとも解釈できるような言い方です(ちなみに、ジョアンはピーターに向かって「チャーリー」と呼びかけています。要はそういうことのようです)。

Charlie, You are alright now.You are Paimon.One of the eight kings of Hell.We have looked to the Northwest and called you in.We've collected your first female body and give you now this healthy male host.(中略...この部分は非常に冒涜的な内容で、書き起こすと障り(心霊的な意味で)があるようなので自粛します…)Give us your knowledge of all secret things.Bring us honor, wealth and good familiars.Bind all men to our will as we have bound ourselves for now and ever to yours.

 

チャーリー、あなたはもう大丈夫。あなたはペイモン王。地獄の8人の王のうちの一人。我々は北西に向かってあなたをお呼びしました。我々はあなたの初夜のために(首のない)女性の身体を集めました。そしてあなたにこの健康的な男性ホストを捧げます。(中略)我々にこの世のすべての秘密に関するあなたの知識を与えてください。そして我々に名声と富と良い同類をもたらしてください。我々があなたに対して今後一切従うように、すべての人間が我々の意思に従うようにしてください。

 彼らが悪魔と契約してまで欲する「富」とは要するに、悪魔とともにこの世(自然も社会も)を支配することという感じのニュアンスでしょうか。古典的な「世界征服の野望」という感じ。

 

2. ペイモン王=被害者説について思うこと

この映画に関する様々な感想を読んでいて僕が一番興味深く感じたことについて紹介します。

Dan Stubbs氏がNMEに書いているこちらの感想より

Hereditary: all the big questions answered

簡単に意訳込みで要約すると、

少女チャーリー(=ペイモン王)がそこまで邪悪に描かれていないのはなぜなんだろうか。たしかに、鳩の首を切り落とすなど不気味な行動が目立つが、基本はコミュニケーションを取るのが苦手な内向的で物静かな少女なわけです。周囲に対して害悪を加えてはいないし、そういった悪意も持ち合わせていないように見えるわけです。

実際のところ、この映画においては一体誰が「真の悪者」なんだろうか。邪悪なのは誰か。

地獄の王ペイモンは結局のところ人間たちによって利用されているだけじゃないのか。彼は「蘇らせてくれ、地上に召喚してくれ」と自ら頼んだわけじゃない。彼は地上に降り立っても全然嬉しそうではなくむしろ非常に困惑した表情を浮かべているのではないか。

これに関して、ピーター役を演じた俳優のAlex Wolff氏が非常に面白いコメントを残しており、彼が言うには

「チャーリーは悪魔だよね。でも、僕にはとても興味深く感じられるんだけど、監督のアリ・アスターは、必ずしもチャーリーが邪悪だとは限らないというアプローチを取っているんだ。彼女はこの世界に生まれ落ちて実際は非常に怯えている。自分がこの世界には属していないと感じている。これって、この世界から疎外された人が精神的な障害を抱えてしまっていることと非常に似通っているように思えるよ。」

Wolff氏の言うことはもっともで、邪悪なのはもっぱら人間たちです。富を得るために悪魔を召喚しようとしている祖母こそが悪魔です。

 

以上のような内容です。

そんなことを思ってこの映画を見返すと、悪魔と呼ばれる少女チャーリーの不器用な生き方が不憫に思えて仕方ないし、ラストシーンの少年ピーター(に憑依したペイモン)もまた非常に悲しそうな目をしていたなあと。それに比べて、富だ名誉だと強欲にまみれ、脂ぎった汚い裸体をさらけ出して恥も知らない教団信者たちの醜さといったら。

この映画はオカルト色全開の映画だと冒頭で述べたものの、ある意味、これは結局ヒトコワ系(オカルト現象よりも人間の方が怖い)のオチだったのかもしれません。

最後に、母親アニー役を演じたトニ・コレット(Toni Collette)は本当に素晴らしかった。圧倒的なすさまじい演技。彼女がいたからこその傑作だったと思います。