progress, not perfection

日本のスピリチュアル系はなぜ、かくもネトウヨ化するのかを考えます。オカルト関連の話題中心。

映画 "Under the silver lake"(2018) 『アンダー・ザ・シルバーレイク』感想

この映画から伝わったメッセージとして、一度反省を経た上での現世肯定、この世で生きることの素晴らしさを発見し直すというものがありました。ラスト近く、看板に書かれたメッセージがそのまんま。(「I can see clearly now + Hamburgers are love(ハンバーガーがこんなにも好きだと今となってはっきり分かった)」)

主人公は、自分が信じる唯一の真正なもの(彼にとってはカート・コバーン)が、軽蔑に値する商業主義的なフェイク(=ハンバーガー的なもの)に過ぎなかったことを知り、致命的なアイデンティティ危機に陥るわけですが(もちろん作曲家殺しの一連のシーン自体が彼の妄想である可能性も大ですが。その場合、彼は自分自身で権威の切り崩しをやったことになります)あるシーンを通じて彼はそれを乗り越えることを学んだようにみえます。

この映画の最大のオチは、最後部(ちょうど2時間過ぎたあたり)、サムとサラがビデオ電話で会話をするシーンにあると思います。この会話の中で、サムが"Same here.(こっちも同じだよ)"と返す部分。これこそがこの映画のオチではないかと(詳細は後述)。サムは、サラの境遇と自身の境遇を重ね合わせることにより、気付きを得ます。

以下はそのシーンより。

大富豪セヴァンスの3人の花嫁のうちの一人として、死を偽装し、地下深くの墓場シェルター(「アセンションの部屋」)へと封印されることになったサラの真意をサムは確かめようとします。

Sam: I just wanted to know what happened to you.You really wanna be down there?

Sarah: ....Yeah.

Sam: You're gonna die down there. Is that what you want?

中略

Sarah: Do you think I've made a mistake coming down here?

Sam: Maybe.

Sarah: Well, there is no getting out now, so I may as well make the best of it.

Sam: Yeah. ...Same here.

 

(適当和訳)

サム:ただ君に何が起こったのか知りたかったんだ。君は本当にそこに行きたかったの?

サラ:...うん。

サム:君はそこで死ぬんだよ。それが君の望みなの?

中略

サラ:私がここに降りて来たのは間違いだったと思う?

サム:たぶん。

サラ:もうここから出られないんだから、思いっきり満喫したほうがマシね。

サム:うん。こっちも同じだよ(僕もそうするよ)。

 このビデオ電話による会話シーンがなぜこれほどまでに感動的なのかというと、要するに、サラが自らの意思によって地下の墓場へ降りて行ったのとまったく同じように、僕たち自身の魂もまた、自らの意思でこの地上=地球へと降りてきたのかもしれないとふと気づかせてくれるからです。

サラの境遇と自らの境遇を重ね合わせることで、サムはひとつの「気づき」を得たというのがこのシーンだと思います。

この地下の墓場は、「アセンションの部屋 the Ascension Chamber」と名付けられており、大富豪が魂のアセンション(次元上昇)のための準備期間を過ごすための施設であるとされていますが、その実態は、滑稽なまでに世俗的で物質主義的な快楽追求のための設備にあふれています。これは事実上のディセンション(次元降下)なわけです。

ところで、スピリチュアリズムの教科書的理解として、僕たち人間の魂もまた、全能・無限の類魂世界(魂のふるさと)から、制約に満ちた有限のこの地上世界へとディセンドして生まれ落ちるわけです。

この地上という物質的な世界において、有限性とはいかなるものかを経験し学びを得るために、魂は自らの意思で降りてくるわけです。そうした経緯の記憶をふと思い出させてくれるのが上のシーンだと思います。

もちろん、この作品はスピリチュアル系にハマるセレブたちをネタにして笑うような調子に満ちているので、このスピリチュアル的解釈を真顔で語るつもりはないですが、それなりにオチとして成立しているように思います。一応ここはスピ系ブログなので書いてみました。

 

以上